ブルックナーについて
ブルックナーの曲をやる機会があるので、どんな人なのか調べてみた。
アントン・ブルックナー(1824~1896)
小さい時から、父の代わりにオルガニストとして活躍したりした。
父の死没後、聖歌隊で歌うように。
16歳から教員養成所に通い、小学校の補助教員免許を取得。その後、補助教員をしながら、教会でオルガンを弾いたり、農民の踊りにバイオリンで伴奏したりした。
リンツ大聖堂のオルガニストとして成功し、収益も得ていたが、31歳の時に作曲を学ぼうとし、シューベルトが最晩年に師事していたジーモン・ゼヒターに和声と対位法を習った。この間ゼヒターはブルックナーに作曲を禁止したため、この期間の作品はほぼない。
37歳で修了し、その後37~39歳のとき、10歳年下のオットー・キッツラーに楽式や管弦楽法を学んだ。
39歳の時ごろから、ワーグナーの音楽を研究するようになる。また、ベートーヴェンの第9にも影響を受けたらしい。
44歳で、ゼヒターの後任としてウィーン国立音楽院の教授に就任。リンツ大聖堂のオルガニストを辞し、ウィーンに移住。他のところでオルガニストととしても活躍してた。
39歳頃からは作曲に注力した。交響曲とか。
49歳でワーグナーと知り合う。
52歳で、ワーグナーのニーベルングの指環を聴き、「第1次改訂の波」に突入。今までの曲を大幅に改変した。
1880年代(56歳から)は教授職なども安定し、ウィーンで地位を得る。このころ作っていた交響曲第8番ハ短調を尊敬していた指揮者やその弟子たちに見せたが、否定的な意見をもらったので、自身の作品の改訂を始めた(第2次改訂の波)。
1896年、病気で死去。
敬虔なカトリック教徒。
ブラームスとも交流があった。最初は対立していたが、同じ店の同じメニューが好きということを知り仲良くなった。
生涯独身。よく恋に落ちてアプローチしたが全て破局。
大酒飲み。毎晩ビール10杯飲んでた。
男声合唱好き。40曲くらい書いてた。
こんな感じか。作品群とかはそのうち調べようかな